伊東乾『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』

さよなら、サイレント・ネイビー ――地下鉄に乗った同級生

さよなら、サイレント・ネイビー ――地下鉄に乗った同級生

現在は東大助教授の著者は、東京大学理学部物理学科在学中に豊田亨という学生と同級で実験ではいつもペアを組んでいた。その後大学院修士課程も共に進学し、長きにわたって親友だった。しかし豊田亨は博士課程進学直後に「出家」してオウム真理教科学技術省次官となり、その後地下鉄サリン事件の実行犯となる。親友がなぜ未曾有のテロ事件の実行犯になってしまったのか? という恐ろしく重い問いにこたえようとする本。いろんな意味ですごい。
豊田被告(二審死刑判決)はオウム公判関連の各種取材記録でも、寡黙で存在感がない人間像として報告されていることが多く、組織の命令に黙って従うだけの人間のように思われている。著者はその黙して語らずの姿勢は豊田の責任感からくるもので、本来は豊田被告も語るべき言葉を持っているはずだ、という見解のようだ。これが本書のタイトルの由来なのだが、これだけでは説明難しいので読んでもらうしかない。また、公判で豊田が「自発的に」出家したことになっていることについても違和感を示す。
豊田と著者の専攻は素粒子物理で、素人目にも理論物理の最右翼みたいな感じなので、村上春樹が『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』において豊田の専攻を「応用物理」と書き、エリート批判の型にはめようとするのを批判している。ここは私も違和感がある。素粒子を「応用」と紹介することは著者や豊田と専攻が近い人間には有り得ない。しかしその後に続く、豊田の修士論文と、そこに彼が出家しなくてはならなかった理由が込められているという議論については反応に困る。ただこの無理っぽさも私には友人を助けたいという切実な意思がこの箇所から強烈ににじみ出してきたもののように感じられる。
なぜ? という疑問にこたえるために、実際に当時豊田が実行したとされるようにビニール傘を買って地下鉄に乗ってみたり、豊田本人に接見して話を聞いたり、自分のその後の人生ともリンクさせながらひとりで考えてみたり、聞き役をみつけて語ってみたりしている。本書は第4回開高健ノンフィクション賞受賞作なのだが、ノンフィクションらしくないセンチメンタルな自分語りや、豊田本人にゲラを見せ、訂正を要求された箇所を紙面にそのまま残したりなどの読者が困惑するような部分が残っていたりする。
ともかく、落ち着いて読むのはとても苦しい本だ。自分は豊田になったかも知れないし、親友が豊田になった著者になったかも知れない。そういった可能性に真剣に目を向けて、再発を防ぐための具体的な方法を考えたりすることはなかなかできない。誰にとっても他人事ではないのだ。少なくとも読んだ私は重い印象が残ったし、他では得られないものがあった。