メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ』

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

謎めいたタイトルに釣られて買ったものなのだが、これは大当りだった。すごい。今年の読書の中ではピカイチである。
副題は『読書は脳をどのように変えるのか? 』という。我々がふだん日常的に行っている読書という行為はそれ自体が奇跡的なことなのだと感じてしまう。この本を読んだ後には、読書という行為との関わり方が変化しているだろう。私にとっても読書がこれまでよりもはるかに愛おしいものになってしまった。
著者は認知心理学発達心理学の研究者で、特に言語の発達などを専門にしている。自身のご子息がディスクレシア(識字障害)であったこともあり、ディスクレシア研究の第一人者である。
本書は大きく3つのパートに分かれている。Part1が『脳はどのようにして読み方を学んだか?』、Part2が『脳は成長につれてどのように読み方を学ぶか?』、Part3が『脳が読み方を学習できない場合』である。
Part1では歴史的な文字の成り立ちが話題の中心になる。文字を持つ人間の歴史は新しく、せいぜい数千年しかない。古代の文字がどうなっていたかということ、そして文字の発達に合わせて人間が変化してきたのだということを解説する。ソクラテスは書き言葉の普及によって人間に変化が起こるであろうことを非難していた。
続くPart2では、人間の成長と合わせた文字認識の発達について解説される。脳科学や心理学、教育などの専門知識を縦横無尽に駆使して、文字を読めるようになるとはどういうことか、さらには読んだ文字から意味を読み取るとはどういうことか、それがどのような仕組みで起こっているのか、本を読むことを完全に習得した人間の脳で起こっていることなどについて解説する。当然ながらここを読んでいる読者は既に本を読むことが出来るようになっているのだが、そのためには自分の脳が幼少の頃からの読字訓練によって「変化させられてきた」ことを知るのである。このへんで頭がくらくらしてくる。
最後のPart3がさらに刺激的だ。著者が身近な実例とともに研究しているディスクレシアの話題で、それ自体もとても興味深いし面白いのだが、それをもとに読字とともに進化してきた人間の脳がこの後にどうなってゆくのかという壮大な話が展開してゆく。というかそういうことを考えざるを得ない精神状態になってしまう。膨大な情報がオンラインで飛びかう現代の世界にただ身をまかせるようにしていると失われてしまうものがあるかも知れない。ソクラテスの嘆きは現代においても共通しているのだ。
全体を通して、最初にも書いたが読書という行為への取り組み方が変わってしまう。そしてそれぞれのエピソードも専門知識に裏付けられたもので知的好奇心を相当に刺激されてしまうのでまずこの本を読むことが出来たことが強く印象に残る。自分が自由に読書が出来る環境に生まれたということは本当に有難いことだと思えてくる。全ての読書が好きな人に読んでもらいたい本だ。