恩田陸『夜のピクニック』

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック

夜のピクニック

とうとう読んだ、という気持ち。そしてすごい満足感。
恩田陸はデビュー当時から読んでる本当に好きな作家さん。私は特に1作目2作目には非常に強い思い入れがある。その初期の作品などに典型的な作風から、ノスタルジーの魔術師と呼ばれるのはご存じの通りです。ただし、専業作家になって以来は作品の幅がひろがってきて、それ自体は素晴しいことなんだけど最初の2作品で味わったような鮮烈な印象と同じものを求める人にはややさみしいところがあった。
さて、この作品は2004年7月にハードカバーが出ている。出版されたときから既に、タイトルを見ただけで直感的に初期2作品で味わったあれが戻ってきた気がして興奮したものです。もちろん即座に買ったしすぐに読みたかったのだけど、読み終わってしまうのがもったいなくて手をつけないようにしたのだった。
その後は本屋大賞取ったり映画化されたりして、いろんなメディアで紹介されたりして、一昼夜かけて80kmを歩く高校の行事が舞台というあらすじだということも知ったときにはもう、これはまさしく読みたかった本だという確信が深まってゆく、そんな中で読まずに取っておくのはものすごい忍耐力を要しました。なぜいま読む気になったかというとそういう気分になったからとしか言いようがないのですが。
ここから先はネタバレするので未読の方は気をつけてください。
キーパーソンのひとりの名前の読みが私と(字は違うけど)同じだったのがちょっとびっくり。それも関係するしかけの部分と、戻らない時間に対する郷愁とが合わさって、本当に小夜子や球形の季節のときの気持ちが戻ってきた感じがします。
融と貴子は小説のような(小説なんだけど)特別な境遇だけど、それはあの年齢あたりで誰もが一瞬は抱く自分への違和感みたいなものの投影、認めたくない自分のメタファに思えてきます。あの頃の、自分の心の中の融と貴子は揃ってゴールできていただろうか、そんなことを考えている自分に気がつきます。
美和子や忍の存在も、誰もが思春期に持っていた憧れや、この人なら理解してもらえるという安心感、それでも他人に心を許しきれない不安感、そういったものがないまぜになったものを否応なく思い出させてくれる。まさに魔術師の妙技炸裂。

「みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。どうして、それだけのことがこんなに特別なんだろうね。」

本当に、ただ歩くことがなんでこんなに特別な作品になるんだろう。読み終わったいまとなっては、それだけでじんわりと感動してしまう。誰か特別な人と一緒に「歩く」ことを想像し、とてもあたたかで豊かな気持ちになってゆきます。
いま私の中では、もっとはやく読んでおけばよかったなあ、この気分で歩くことを楽しめばよかった、という思いと、ああ、ずっと取ってあったのについに読み終わってしまった、という思いが交錯しています。でも、期待は裏切られませんでした。ひさしぶりに贅沢な、しあわせな読書をできたな、と思っています。『球形の季節』も読み返したくなってきたなあ。


ところで、知り合いに実際に高校でこの行事を行っていた、という人がいます。おそらくモデルになったのでしょう。恩田陸さんの母校なのかな。読んだあとでは、いっそううらやましく感じます。